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経歴
<幼少期>
<小学校>
小学6年生<最初の大失敗!>
母の実家があった大阪府池田市で生まれる。
川崎重工で航空機の設計をしていた父の勤め先の岐阜市の社宅に住んでいました。
1歳7ヶ月下の妹が生まれてから、妹に手が掛かる母...母にかまってもらえない寂しさと妹へのやきもちのためか、
外でストレス発散していたようです。
外で子どもの泣き声が聞こえて母が見に行くと、私が他所のお子さんを叩いたりして泣かせていたようで、母が謝って歩いていたそうです。かなり腕白な子供で近所の腕っぷしの強い男の子とばかり遊び、その子に引っ掻かれた傷が顔に残っていたようです。
両親が音楽好きで、いつもレコードを聞いていました。幼い時から両親が聴いていたベートーヴェンの交響曲「運命」「田園」「英雄」「第9交響曲」ピアノ協奏曲「皇帝」、バッハの「管弦楽組曲」ヴィヴァルディの「四季」モーツァルトの交響曲40番、41番など、曲の隅々まで覚えてしまいました。モーツアルトの40番は耳にタコが出来るくらい何度も聴きました。
当時の私はチャイコフスキーの「くるみ割り人形」が一番好きでした。レコードのジャケットの子供向けの写真がお気に入りだったからかもしれません。
両親は、その当時一世を風靡したカラヤン指揮の演奏と他の指揮者の演奏の聴き比べなどしており、「運命」の冒頭をいくつかのオケで聴き比べし、同じ曲でも演奏者によってテンポも曲想も全て違うということを母が私に言っていました。その時初めて演奏者によって同じ曲でも全く違う演奏になる、ということが子どもながらに分かったことを今でも覚えています。
交響曲を数多く聴いていたせいか、(関係あるのかないのか判りませんが)
絶対音感はありました。
運命などは特に聴く頻度が多かったせいか、オーケストラの楽器の音色や曲の形式なども自然に頭に入ってしまった様な気がします。
今でも耳だけは自信があるのも幼少期の経験のおかげかもしれません。
この様に、幼児期の子供は大人の想像以上に音楽を吸収する能力があると思います。そして反復すればするほどその能力は高まると考えられます。
幼少期の自分の体験が「クラッシックを幼少期にたくさん反復して聴くとどのような効果があるか?」を実証できたような気がします。
ピアノは5歳から始めました。ピアノは祖父が買ってくれたのを覚えています。近所のお爺さん先生にバイエルを教えて頂きました。レッスンの内容はかなりいい加減だったと覚えています。レッスンの帰りに毎回母に「レッスン中はあくびをしないように」と叱られていたのを記憶しています。
1年生の頃、母が「今の先生のままでは駄目だ」と思ったのか、ご近所の方の紹介で名古屋音楽学校という所の桐朋学園出身のH先生に変わりました。
岐阜から名古屋まで電車に乗って毎週土曜日にレッスンに通いました。
かなり厳しい先生でした。
「ピアノの練習時間は学年+1時間でないと上手にならない」と言われ、母にスパルタで練習させられました。母はピアノが弾けませんでしたが、自分が小さい時にピアノを辞めてしまった経験から「先生に言われたことだけは次のレッスンまでに必ず直さないとだめ」というポリシーで先生に言われたことを直すように練習中はいつも私の横に付き添っていました。
親子バトルも大変なものだったのを記憶しています。私が練習中に泣くと、泣き声がご近所に聞こえないように押し入れのお布団の中に首を突っ込まれたのを覚えています。
しかし、どんなに大変でも一度もピアノを辞めようと思ったことはありませんでした。
小学3年生の時、H先生が健康上の理由で名古屋音楽学校を辞められたので、
東京藝術大学出身のN先生に師事しました。私は1学年下の医師になった妹と比べると、数学が苦手で嫌いだったため
勉強よりピアノの方が自分には向いている、と子どもながらに感じていたようです。
数学で苦労するくらいならピアノの方が楽しいと思っていたのかもしれません。
いつしかN先生が卒業された名古屋市立菊里高校音楽科に進もうと決めました。
その後、父が名古屋大学で教鞭をとることになったので、岐阜市の社宅から出て愛知県稲沢市に家を建て、引っ越しました。
N先生は離婚され、先生のご実家だった一宮市にレッスンに通うようになりました。
小学校6年の時、毎日新聞社の全日本学生音楽コンクールに初めて出ました。
ベートーヴェンの第5番のソナタが予選曲でしたが、
第一主題の高音を全て外し、惨憺たる演奏になってしまったことを今でも覚えています。
いかに練習不足で「井の中の蛙」だったか?練習はしていたつもりだったのですが、いかに自分が甘かったのか?をその時思い知らされました。
当時、名古屋大会はなかったので、西日本大会に出るため大阪まで新幹線に乗って意気揚々と出かけましたが、
帰りは凹んで帰ってきました。